俺はそんなあわてた吾平が帰っていくのをぼんやり見ていた。
吾平はしきりに誤解しないでほしいと言っていた。
俺はその焦った顔を思い出して、自転車を走らせる。
この胸の痛みは、いつ消えるんだろう。
不快だった痛みは、いつしか麻薬みたいに熱っぽくなっていく。
熱いアスファルトに足をつけずに走っているのに、どうしてだろう。
俺はまた少し目をつぶって自転車をこいだ。
明日になったら消えるだろうかなんて思いながら。
家に帰ると、母親はすでに夕食のそうめんを作っていた。
俺はそれを食べると、すぐに部屋に戻る。
部屋の1番大きな窓を開けて、まだ少しだけ夕日のかけらの残った夜を見る。
いつもと同じ、この空気。
その中に感じる夏のにおい。
夏が好きだよ
いつしか吾平が、ぽつりとメールに書いてきたことがあった。
どうして、と聞くと、吾平はなんだか浮かされたみたいなメールをよこした。
汗かいてべとべとになりながら部活をするの。
動いているときはね、あたしまるで操り人形みたい。
馬鹿みたいに一生懸命前向いて踊るの。
本当馬鹿みたいだよ、だってこんなこと何の役にも立たないもん。
それなのにあたし、踊ってるときに泣きそうになるんだ。
本当馬鹿みたいだよ、あたし。
無感動な返事をするべきじゃなかったのに、俺は適当な同意のメールを返した。
それぐらい、吾平の思いは真剣だった。
それはそれはとてもリアルで、真剣に触れたら壊れてしまいそうだったから。
それは強い、そしてか弱くはかない思いだった。
*
小杉先輩と目をあわせられずに、昼食をとる。
小杉先輩は犬島の甘ったれた悩みににこにこしながら答えている。
けれど、とうとう観念したみたいな顔して、俺の目の前にきた。
「比奈地もっと自然に無視できないかな…露骨だよ」
「そうですか…?」
「うん」
小杉先輩は苦笑するように続けた。
「何が不満?」
「吾平が先輩なんかとつきあってないって、向きになってました」
「あ、そう やっぱ吾平のことか」
「…」
「でもね、誤解したのも君だよね? 僕はホテルとは言ったよ」
「でもそれじゃ…わからないです」
「まぁお年頃な比奈地にはそれしか想像できなかったかな」
「…馬鹿にしてるんですか」
「別に」
「本当のことを教えてください」
意を決してそういうと、先輩は細い目をさらに細めた。
その目には、違う光がゆれていた。
「それはね、できない」
「どうしてですか」
「すべてが終わったらね、吾平にでも聞けばいいよ」
「吾平は教えてくれません、どうしても」
「あたりまえだよ、彼女は今とてつもない試練にぶちあたってる」
「…っ」
黙る俺に、先輩は目をあわせるように近づいた。
「いいかい、君が深入りしては彼女は傷つくだけだ」
「…俺じゃ無力なんですか」
「そうじゃない、君は吾平にとってとてつもない力を持っている」
「その試練って何なんですか」
「…吾平は、世の中を生きていきにくい性格だ、わかるよね」
「…まぁ」
「彼女には壁が多すぎる、だから俺がその壁を叩き壊すすべを教えている」
「…」
「だから今は、そっとしてやってほしい」
「…俺には…」
「今、彼女は必死なんだ、頼むよ」
その懇願するみたいな口調に、俺はうつむいた。
全貌の分からない何かに、大きな疎外感を感じた。
もっと早く見つけてやればよかったと後悔するのは、近い将来だと気づくべきだった。
NEXT?