「犬島、お前最近なんかあったのか?」
「はい?」
茶室を出て、まっすぐ体育館に向かう。
準備体操をしてるときに、部長に声をかけられた。
「どうしてですか?」
「いや、よく部活前に走ってくるなぁと思って」
俺は少しはっとする。
俺が最近走っているのは、茶室から出る時間がぎりぎりだから。
「どっかに用事でもあんのかなぁと思って」
「そんな…違いますよ」
俺の声にかぶるように、部長への歓声があがった。
ふりかえるといつものように、ファンが叫んでいた。
部長はうざったそうに、消えろのサインを送る。
女子はぞろぞろと体育館から出て行った。
こんなに選べる人がいて、どうして皐月先輩なんだろう。
ふいに生まれた疑問が、俺の奥で重くなる。
この人は俺の知らない皐月先輩を知っているんだろうか。
この人は俺が望むことを皐月先輩にさせているんだろうか。
その疑念は大きく、醜いものだった。
今の俺の顔を、皐月先輩だけには見られたくない。
いつものように部長と練習メニューを打ち合わせする皐月先輩。
ジャージ姿は色気がないけど、とても健康的だ。
たまに目を合わせて話す部長のまじめな顔に、皐月先輩が笑う。
部長は甘い顔をうれしそうにゆがめる。
バスケコートのラインを、俺は必死で踏み込んだ。
シュートは決まった。
帰り道、同じ部活の比奈地と分かれて駅に向かう。
俺はぼんやりと足元を見ながら歩いた。
汚い道路、小学生の頃からずっと汚い。
ふいに肩を叩かれてふりかえる。
皐月先輩がうれしそうに笑っていた。
「恭太郎、お財布持ってる?」
「はい」
「じゃ、マック行こうよ、ね」
「ちょ、皐月先輩っ」
言うが早いが皐月先輩は俺の背中を押した。
その手が少しのぬくもりを俺に与える。
俺は肺がぎゅっと下がるのを感じた。
この感じは、いつも皐月先輩が俺に与えるものだ。
「これ、ふたつください」
慣れた口調で何かをふたつ注文する先輩。
ふたつ ―――その響きが、俺にはどうしてか甘かった。
悲しくなるほど、素敵だった。
席につく俺の目の前に、トンと置かれたのはシェイク。
皐月先輩はうれしそうにそれを自分のところにも置いた。
「抹茶のシェイクなの、期間限定なんだよ」
「あ、CMでやってるあれですか」
「うん、あたし一回でいいから飲みたかったの」
そう言って心底しあわせそうな顔してシェイクを飲む。
俺はその姿がおかしくって笑ってしまう。
「何よ、あたしそんな変な顔してる? もともとか」
「そうじゃなくて…こんな顔してシェイク飲んでるのって不思議で」
「そうよねー、後輩が見たらおどろくわね」
「俺も?」
「まさか、恭太郎はあたしのこういう顔結構見てるでしょ、お茶飲んだりで」
俺しか知らない、皐月先輩。
「部長は?」
「ん」
「部長は知らないんですか」
「そうね、たぶん知らないわ、あたしカッコつけだもん」
へへ、と笑ってまたシェイクを飲む。
俺も口をつけて飲んでみる。
少しだけ、抹茶のあの香りが鼻をぬけた。
皐月先輩はそんな俺を見て、悲しそうに笑った。
どうしてか、泣きたかった。
―――あたしカッコつけだもん。
それは、先輩が好きな人の前で見せる顔。
俺が皐月先輩に見せる顔と、あまりにもよく似たものだった。
好きな人の前で見せる顔、俺の前で見せる顔。
それは多少の差しかないのだけろうけど。
俺にはふかいふかい溝だった。
どうしてか、泣きたかった。
「ねぇ、このあと時間ある?」
突然呼ばれておどろく。
ありますけど、と答えると、皐月先輩はよかったと笑った。
「恭太郎と行きたいとこがあるの、いいかな」
馬鹿な俺は、またその言葉に身を削った。
本当に、浅はかだね。
NEXT?