普通というのは本当に難しいものだと思う。
地味なヤツでも、意外と特技があったり不思議な正確だったり。
人間が数人集まれば、それなりにそれぞれが個性的に感じる。
だから、普通というのはとても難しいこと。
特質することより難しいことだと思う。
だから俺は、自分の生活に何があってもしかたないとも思っている。
ヒカリムシ
転校する。
それはなんとなく、あっけなくやってきた。
父親の転勤が決まり、母親とひとりっこの俺はそれについていく典型的理由。
ダンボールに荷物をつめはじめたのはおととい。
そして今、その荷物のひもをときおわり新居に座り込んでいる俺。
昨日もらったクラス全員からの色紙と、仲のいいヤツと並んで映っている写真。
それを引き出しにしまうと、ぼんやりと窓を見つめ、立ち上がる。
とりあえず外に出ようと思って、キーケースをポケットに突っ込んだ。
小山博之。
特別珍しくも、格好よくもない名前。
だけどあだなのヒロで呼ばれると、ちょっとうれしい。
なんだか親近感がわく気がするからだ。
機会があったらそう呼んでもらっている。
自転車でちょっと走ると、目の前に大きな校舎が広がった。
広い校庭には運動部の練習する声が聞こえる。
俺は陸上部に入っていて、放課後は毎日走ることに明け暮れた。
数日前に引退試合を無事に終え、引退式もやってもらった。
それを思うとふいに胸がぐっと閉まって、鼻がつーんとする。
あわてて下駄箱に駆け込んで、目を閉じた。
なんだか少し、感傷的になってるみたいだ。
俺は流れで靴を脱ぎ、放置してあるスリッパを履いて校舎に入った。
校舎内には誰もいない様子で、しんと静まり返っている。
俺は少しうろうろして、教室に貼ってある表札を見ながら歩いた。
生徒会室、コンピュータ室、特別教室1、特別教室2…。
ふとそこに、表札がはがされたみたいなあとがある教室に気づく。
しかも少しだけ扉が開いている。
何かの資料室かな、と思って引き戸を開けてみた。
電気はついていない。
だけど日光が窓にたくさん入っていて、部屋は明るかった。
机の向こうには棚がいくつか並んでいて、そこは陰になっている。
何か書物が積まれているみたいだ。
俺はその方向に進んでみる。
かたり
何かが置かれる音がして、俺ははっとした。
誰かがいるなんて思ってもいなかった。
「どうしてもできない…」
声変わりしていない幼い声にさらに驚く。
俺は何も言えずにその場に立ち尽くす。
「何度考えても、どうしてもうまくいかないの」
がたがたと音がして、椅子を引いて体をそらせているようだ。
そしてまたぱたぱたと足をばたつかせている音がする。
「ねぇどうしよう、晃司郎」
立ち上がってこっちに向かって歩いてくる。
今すぐ逃げるか、人違いだとか言わないといけないのに。
そうできる空気ではなかった。
「…誰…」
ぴんとした、緊張感が俺を包んだ。
ぐっと目を開くと目の前にいる少年と目が合った。
高校生男児にしてはずいぶんと小柄で華奢な体をしている。
でもそれに似合わず切れ長の瞳はきつい眼光を放っている。
一瞬で敵意を伝える鋭さ。
そして一瞬のうちに、視界をふさがれた。
大きな音がして、背中に衝撃が走る。
目をふさがれて、思い切り仰向けに倒されたのだ。
零度の恐怖を、俺は体感した。
「何が目的でここに入ってきた」
「俺は、別に…」
「言えよ、言わないと殺す」
迫力のある幼い声と、視界をふさがれた不安で、俺は足をばたつかせた。
でも今度は腹に馬乗りになられて、一瞬呼吸の自由を奪われてむせる。
だめだ、動けない。
「す、すいません、本当すいませんでした」
「謝罪の言葉なんて聞きたくない。さっさと目的を吐け」
「そんなこと言われても…俺は本当に偶然なんだ」
急に首筋につめたい金属をあてられた。
「俺は本気だ、君のことぐらい殺せるんだ」
「ちょ、待てよ、お前何言ってんだ」
「君ごときにお前呼ばわりされるほど、こっちは身分が低くないんだよ」
「勘弁しろよ、何かの勘違いだろ?」
「うるさい、早く言え」
首筋にある物質がさらに強く、俺ののどに押し付けられる。
「梅雨先輩?」
向こうの方から声がして、誰かが歩いてくる。
俺は助かった、と思いながら体中の緊張感を少し緩ませた。
「晃司郎」
「…何してんですか?」
つゆ先輩、と呼ばれた少年は俺にまたがったまま目にかぶせていた手を取った。
棚の後ろから出てきたのは、少年とは対照的に背が高かっただった。
と言っても体自体の線は細く、やわらかい雰囲気だ。
俺は急いで声を上げようとしたが、なぜかコウシロウはそれを制した。
「今ここで声を上げたら、梅雨先輩に殺されますよ」
「…っ」
「梅雨先輩も、いつものそれはしまってくださいよ」
「はいはい」
つゆ先輩は、それと呼ばれた金属物質をポケットにしまうと俺の首に指を走らせた。
その信じられない滑らかさに惑わされた一瞬、ぐっとひきあげられて壁に叩きつけられた。
「痛…っ」
「さっさと吐け、この野郎」
「あ、梅雨先輩、その人…」
「何?」
「その人、明日から入ってくる転校生じゃないですか?」
「…」
「そうなの、君?」
「…はい」
「なんだ、うっとおしい」
顔の横にこぶしを叩きつけられて、俺は目をつぶる。
憎憎しげに立ち上がると、あたりに散らせていたルーズリーフを拾い集め出す。
コウシロウが、俺のもとにゆっくりと歩いてくる。
「今日俺達と会ったことは、なかったことだと思った方がいいですよ」
「は?」
「漫画みたいなこと言ってる、とか思ってますよね。でも本当なんです」
「…意味が分からないんだけど」
「俺の名前と先輩の名前も忘れて、今日はっ倒されたことも忘れてください」
「…」
「いいから忘れろって言ってんだろ」
向こうの方からつゆ先輩の怒鳴り声が聞こえる。
俺がふっと縮むとコウシロウは苦笑して俺を教室から出した。
「忠告しておきますけど、おふざけじゃなく忘れた方がいいですからね」
「…はぁ」
「だって小山先輩、うちの学校私服で校舎とか入っちゃいけないって知ってますか?」
「…」
「だから、おあいこですよ。俺達も先輩の話はしませんから」
では、と言って教室の引き戸を閉められる。
俺は呆けて、少し立ち尽くした。
そしてとぼとぼと自転車置き場へと歩く。
まるで熱いお湯につかっていた瞬間に起こった出来事みたいに実感がわかない。
首筋のつめたさと、目をおおわれたやわらかな感覚だけがリアルに残った。
そして気づいたのだ。
―――あいつ、コウシロウとかいうやつ、何で俺の名前知ってるんだ?
*
「晃司郎、ドアあけっぱで行った?」
「おかしいなー、ちゃんと確認していったんすけど」
「馬鹿、危なかったんだぞ」
「すみません」
「どうすんだよあいつ…まずいとこ見られたな」
「でも大丈夫だと思いますよ、あの人少し鈍そうでしたし」
「意外と上玉だったりしたら困るんだけど」
「そうですよね」
「まぁいいや、帰ろうか」
「はい」
「いざとなったらこっちで始末しちゃえばいいしね」
「梅雨先輩ってば、怖いなー」
「馬鹿」
「先輩かばん持ちますよ」
「うん、よろしく」
引き戸の鍵を閉めて、部屋を出るふたり。
彼らを見ている人間をいたことを知るのは、まだ少し先。
NEXT?