水曜日の放課後、あたしはちょっとだけバトン部の見学に行ってみた。
あたしを一生懸命勧誘してくる同級生に申し訳なくなったから。
その子は毎日あたしの席までやってきて必死で部活のよさを説明する。
あたしがあきれているのを知っているけど、その子は必死だ。
しかもその子は、園子という名前らしい。
その子と呼んでいた子の名前が園子…ちょっと笑ってしまった。

園子はあたしが見に来たのをうれしそうに部長に話に行った。
部長も何度も勧誘に来てくれたひとりだから、あたしは軽く会釈した。
部長は園子をほめて、あたしのところに走ってきた。
ちょっと予想外だった。

「怪我は大丈夫なの?」
「…まぁ、なんというか…」

あたしは事件の後、すぐに交通事故にあった。
もう二度と全速力で走ることができなくなったのだ。
家族が死んで、あたしに残った日常は走ることだけだった。
それさえも奪われて、あたしは途方にくれていた。
そんなとき叔母さんがあたしをひきとってここの学校に入れてくれた。
あたしは何もかも捨てて、ここに来たのだった。
ふとそんなことがよぎる。

「無理しないでね、でも入ってくれたらうれしいけど…」
「まだ、入るかは決めてないんです」
「そっか…でもいいや、見学に来てくれただけでうれしいよ」

部長はそう言って、あたしにバトンを差し出した。
あたしは驚いて躊躇した。

「ちょっとだけ、やってみたら」
「…でも、そんな入るって決めたわけじゃないので」
「いいの、やってみるだけやってみてよ」

有無をいえない気がしてあたしはそれを受け取った。
部員が練習をやめてこっちを見ている気配がする。
あたしは一瞬目をつぶって、息を吐いた。


中学生のときのあたし。
まだ何もかもが未知数で、本当の現実に向かい合えない幼さ。
その中であたしは、この一本の棒に全てをかけて。
――バトンが宙を舞う。

終わったときには、自分がどんな技を繰り出したのかわからなかった。
でも、周りの静まりようが不思議で、あたしはきょろきょろしてしまった。

「すごい」

部長があたしに近づいてきた。
あたしは何がなんだかわからなくてあとずさりをする。

「すごい、すごいよ、倉田さんすっごいきれいだったよ」

あたしの手をとって、部長は言った。

「うちの部活に入って、倉田さんが必要なんだよ!」

あたしの中に、風が吹き込んだ。



なんてことはない、ここのバトン部はまだできたばかりで技術が低かった。
だからあたしみたいな学校の部活でちょっとやっただけレベルがすごく見えたのだ。
わかってる、わかってるのに。
あたしの中に吹いた風を、拭い去ることができなかった。

廃屋の扉をあけて、汗だくの研二が入ってくる。
あたしが手招きすると、研二は笑顔で寄ってきた。
でもその表情が少し硬かった。

「どうかしたの」
「ううん」
「返事、もらってきたの」
「うん」

研二は汗をかいたからだを白いタオルでふいている。
あたしも汗をかいていたから、腕を差し出した。
研二は黙ってあたしの腕をふきはじめる。

「何、だめだったの」
「予定通り、今週末でいいって」

予定通りか。
あたしは短く息を吐いて研二のほおをつねる。
研二は顔を上げてこっちを見ている。

「あの…別にたいしたことじゃないんだけど」
「何、気になるじゃん」

研二は言いにくそうに口を動かそうとしている。
だからあたしはそっとほおをなでてあげる。
研二はうれしそうな、泣き出しそうな顔をして笑った。

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