僕は朝早くから、バス停で待つ。
誰もいないぼろぼろのベンチで、ぼんやりしながら。
僕は何度も考えた、何度も何度も。
今日、答えを出すことに決めた。
弱気な僕の、精一杯を、今。
田んぼの稲が、さらさらゆれている。

涼夏が走ってくる音がする。
僕がふりかえると、涼夏はとまった。
きみどりのかばんと、白いパーカ、しなやかなジーパン。
いつもの桃色のスニーカー。
そのスニーカーは君をどこへ連れて行ってくれるのかな。
僕は、涼夏に笑いかけた。
涼夏もだまって笑った。
そして涼夏は、今までもそうだったみたいに僕のそでをつかむ。
君の鮮やかな手さばきが、僕を困らせるんだ。

バスから見える風景に、涼夏は黙っている。
ぼんやりとどこかを見て、音楽を聴いている。
そっとよりそうと、からだを少し硬くして、僕のズボンをつかむ。
しばらくして涼夏はイヤホンを僕に差し出す。
僕は黙ってそれを耳にいれる。

外国の女の人が、歌っている。
それはとても澄んだ声、いつかどこかで聞いたことのある。
君は泣いている、泣いていることに気づかない。
僕はそっと目をとじて、君の手を握る。
君はよわいちからでにぎりかえしてくる。
僕の相手にしているのが人間だって思い出させてくれる。
そのあたたかい手に、僕はゆっくり息を吐いた。
バスは進む、誰もいないがらんどうのバスは僕達をのせて進む。



チケットを2枚買って渡すと、涼夏はその料金を差し出した。
僕はうけとらないと、涼夏はしばらく黙って財布にしまう。
ふたりはばらばらに水族館に入る。

あおいろの水槽を眺めては、じっと動かない涼夏。
僕も涼夏の隣にたって、それを見る。
それはへんてこな深海魚だったり、きれいな熱帯の肴だったり。
でも涼夏が1番ねばったのは、ちいさい水槽だった。

「飼ってたの、ベタって魚」
「え、何?」
「ベタ、これに似てる」
「きれいだね」
「でもこいつ、仲間と一緒に泳ぐことができないの」
「何で?」
「だって、殺しあっちゃうんだもん、しょうがないよ」
「殺しあう…」
「そう、殺しあうの 殺し合いだよ、バトルロワイヤル」
「…そう」

涼夏は指先でその魚を追う。
魚はそんなことおかまいなしに泳ぐ。
涼夏は指先でその魚を追う。
魚はいつしか動かない。

「こいつ死んだのかな」
「死んでないよ」
「いや、死んだよ、死んだ、死んだんだ」
「死んでないよ」
「あたしが殺した」
「殺してない」
「殺した」
「殺してない」

「殺したよ…あたしが殺したんだ…」

涼夏はつっ立ったまま、動かなかった。
僕はそんな涼夏の手首をつかんで歩き出す。

いるかのショーを見ようとした僕をふりきって、涼夏はまた水槽だらけのところに戻る。
僕が涼夏に追いつくと、涼夏は僕の背中にことりと頭をたれた。

「どうしちゃったんだろあたし」
「どうもしてないよ」
「どうかしてた、どうかしてたよ」
「そんなことない」
「研二…」

僕の腕をつかむ涼夏の手があつかった。

「研二…」

僕は動けない。

「あたし、どうしたらいいんだろ」

そんな悲しい声を。
そんな悲しい顔を。
そんな悲しい心を。
僕が守ってもいいだろうか。

「涼夏」

そんな資格なんてまるっきりない僕が。

「涼夏」

でも僕は弱虫で、君を抱きしめられずにいるんだ。
矛盾だらけの、重罪人だ。

NEXT?