夏休み最後の一週間、僕は朝練のみに出た。
午後からは用事があるといって、休部の届けを提出した。
僕は柔道部だ、部活内ではそれなりのポジションにいる。
今まで部活は休まなかったから、部長も甘くしてくれた。
胴着を持ったまま学食で昼飯を食べて、すぐにでかける。
ここから歩いて、橋を渡って、唐北女子学園の寮まで。
頭上を虫が飛ぶのをはらって、僕は歩く。
涼夏のいるところへ。
主人を探す、忠実な犬だから。
涼夏はたいてい校庭を見て、寮の部屋の中座っている。
僕が塀から手を出すと、しばらくして石が飛んでくる。
誰もいないの合図。
でもその石はまるで故意のように僕によく当たる。
痛いけど、主人のくれたものは大事だから。
僕は黙って傷をなめる。
涼夏の手が触れた石が僕を傷つける。
僕は黙って傷をなめる。
涼夏はたいてい黙って部屋にいるだけだ。
僕が近づこうとすると怒る。
だから僕はずっと、見ているだけ。
暑い夏、炎天下、僕のからだからは汗が噴き出す。
持ってきたスポーツドリンクを飲みながら、しばらくそこにいる。
やがて日が落ちて、僕は塀を乗り越える。
涼夏は僕を一瞥して窓のカーテンを閉める。
僕はそんな涼夏に見られることがしあわせだった。
焼けた肌も、暑さで痛い頭も、全て涼夏がくれたもの。
僕にとってそれは、快感のなにものでもなかった。
夏休みの最後の日、僕はいつもどおりに塀を乗り越えた。
しかしそこには涼夏はいなかった。
あわてて林の陰に隠れて、涼夏を探す。
渡り廊下からこちらを見ている涼夏を見つけた。
僕は流れるように移動していく涼夏を追いかけた。
まるで主人と犬、そのもの。
僕のこころは、うれしさでふくらんだ。
追いかけて追いかけて、途中で見失った。
涼夏の消えたすぐそば、僕は隠れて大きな体育館を覗いてみる。
涼夏が、いた。
日の落ちてきた体育館、涼夏は手に銀色の棒を握っている。
それはきらきらと輝いている。
僕は誘われるように中に入った。
その瞬間、涼夏はからだをぐんと伸ばして、指で操るようにそれを回しはじめたのだ。
しなやかにのびた四肢、やわらかに伸縮しながら。
指先には輝く銀色の円、中に浮かんだり、からだを伝ったり。
そのときの涼夏の顔は、ただつめたい輝きを放って。
その顔がこちらを見るたびに僕は、泣きそうだった。
涼夏の動きは、涼夏の生き様を示していたから。
「昔、やってたのバトン」
ふたりして床に座ったとき、唐突にそう言った。
涼夏は少し息が乱れていた。
「でも高校にはいってからやめちゃった」
「どうして?」
「だってバトンやってる部活のない学校に進学したから」
「そう…もったいないね」
「所詮この程度の技術だし…楽しむ程度よ」
そう言って自分を嘲笑した。
「それにしてもよく耐えたのね、君」
「…?」
「まさか本当に毎日、あたしのこと見に来るだけのためにあんなに…」
「…うん」
「あんなに長いこと炎天下座ってたんだから」
「だって、僕、涼夏の犬だもん」
「本当に信じていいの」
涼夏は左手でバトンを転がしながらそう言った。
その中心には、青いテープが巻かれている。
その目は、彼女が普通の少女であることを思い出させた。
か弱くて、たよりない、涼夏のいつも見せないその目。
僕は、そんな涼夏だって知りたい。
だから僕は、涼夏の手をとってなめる。
「僕は、君の忠実な犬だから」
涼夏は、僕を指をするするとなぞった。
黙ったままで、悲しそうに。
「じゃあご褒美、あげないとね」
涼夏は、僕の手を握ったまま歩き出した。
NEXT?