驚いた顔の雪弥、俺は歩き出した。
俺も雪弥に話さないといけないことがある。


「彼女の空いたスケジュールの時間、覚えてる?」
「殺害される日の前日、5時から9時」
「その予定、実は知ってるんだ」
「え?」
「見てた奴が、いたんだ」


公園で遊んでいた少年は、知った顔が駅までの道を駆け足でいくのをみた。
部活のための練習をしていた彼は、それが鏡子だということを知る。
鏡子は最近、こうしてよくでかける。

「おーい」
「まあ、どうしたの? また練習してたのね」

まあ、なんて最近聞かない気取った言い回しだ。
でも鏡子が言うと素敵に聞こえる。
少年はずっと用意していたもの、ポケットから包みを取り出した。

「あら、これあたしにくれるの?」
「うん、似合うと思って、買ったんだ」
「これすごくきれいね、きらきら光ってるわ」

鏡子は細い指でそれを取り出した。
それは蝶をかたどった、青色のかざりのついたピンだった。
くるくると回してじっと眺め、鏡子は嬉しそうにそのピンをつけた。

「今からでかけるの、これとってもきれいだからつけていっていいかしら?」
「うん、よく似合ってる」
「ありがとう」

その美しい顔に微笑を浮かべて、鏡子は手を振って歩いていった。
その後ろ姿を見送ってからどこへ行くのか知りたくて、少年はそっと後をつけた。
公園の時計は5時半過ぎをさしていた。

鏡子は駅のファーストフード店に入り、紅茶を飲んでいる。
少年は窓ガラス越しに鏡子を見ていた。
僕のあげたピンは、やっぱりとっても似合っている。
あぁやっぱりきれいだ。
俺のクラスメートなんてくらべものにならない、どこの誰よりも。
少年が見つめていることに気づかない鏡子。
ふいに明るくなった鏡子の表情の先には、ひとりの男。
中年の男は、スマートな背広を着た、いい男だった。
少年は男が誰なのか知らない、だけど鏡子の仲の良い人なのだろう。
ふいに少年は男に嫉妬を覚える、鏡子の顔を変えたこの男に。
しばらく2人は話をしている、鏡子は愛想笑いだということに気づく。
なんだ仲がいいわけじゃないんだ、気を使われてるんだ。
少年の心に浮かんだ嫉妬は瞬く間に消えてなくなった。
そうして安心して、少年はそのまま駅の近くのゲームセンターに入った。
そこで友人に会い、少年はどうしてここに来たのかをいつしか忘れていた。

1時間近くゲームに熱中した少年は7時という時間に驚き、家に帰ろうとする。
そこで少年はまた目にする、水島鏡子の姿を。
当初の目的を思い出して、少年は彼女のあとを追う。
鏡子の隣には、先ほどの中年の男がひっそりと立っていた。

ふいに鏡子の手がすっと伸びる。
そうして男の腕にからみつく。
男はそれを待っていたかのように、鏡子の肩を抱いた。

少年は愕然とする。
彼らが真っ直ぐ入っていくのは、間違いなくホテルだった。

夕闇に、少年の目は光らない。

先ほど入った入り口から、少女が出てくる。
結んでいた髪はおろされ、洋服はゆるくあまい印象を持つ。
彼女の瞳は少し空ろで、右手には紙幣を何枚も握っている。
髪をなびかせる少女の後ろには、同じく乱れた背広の男。
彼らは無言で歩き続け、公園へと足を踏み入れる。
少女の髪をなでて、その先にある少女の顔を引き寄せる。

影がひとつになる。

そうして男は耳でささやく。

「また明日よろしくね」

少女の目は、ゆるく泣いた。
そうして男の耳にささやく。

「今度はもっとお金頂戴」

彼女の顔が、笑顔に変わる。



翌日の同じ時間に、彼らはまた同じ言葉を吐く。
ふたりの間から、少年の顔が映る。
少年は驚くべき速さと静かさで、彼らに近づいた。
そして両手で握った鋭利なナイフを前に出す。
それは少女が少年に護身用で渡した、10歳の誕生日プレゼントだった。

男の前に少女が躍り出たのは、その直後だった。

古いフィルムのような途切れた映像が脳に入る。
それは少年の瞳が涙で濡れていたからでもあるし
怒りに身をのっとられたからでもある。
少年の手に少女の血が滴る。
男は恐怖に身をはじかれて走り去った。

少年の手に少女の血が滴る。
少女はゆっくりと倒れた。

「…あ…う…あぁ…あぁ…」

少年は声にならない悲鳴を搾り出す。
少女は少年の手をとって言った。

「このことは誰も言わないで」
「…血が…血が出てる…救急車、呼ばないと…」
「だめ、そんなことしたら、つかまっちゃうでしょ」
「でも…でも死んじゃう…死んじゃうよ!!」
「あたしは、そろそろ死のうと思ってたのよ、こんなからだいらないわ」
「…そんなこと言わないでよ…僕が悪いのに」
「馬鹿ね、何言ってんのよ、あたしが死にたいんだからいいのよ」
「…やだよぉ…死なないでよぉ…救急車…」

弱くなる少女の声に恐怖し、少年は立ち上がった。

「あたし、お金がほしかったのよ」

叫ぶように吐き出される声に、少年は立ち止まる。


「あたしのからだならどんだけ稼げるかって思ってたのよ」

この顔ならいっぱいおじさんがくっついてくるし
おじさんたちあたしを抱くととっても優しかったのよ
お金もくれるし、絶対乱暴しないし
あたしのからだって、こんなにすごいもんなんだって思ったの
でもそんなの間違いだった、あたしのからだはどんどん穢れていった

あたしもう、こんなのいやだったのよ
でもやめられなかったの、お金がほしかったのよ

叫ぶようなその言葉のあと、少女の声は聞こえない。
ごとりと、不気味な音がした。




「僕は、そんなの、どうでも良かったのに」

穢れた体など、穢れた感情など、どうでも良かったのに
自分のやり方で守りたかっただけなのに
その方法は間違いで、その代償は大きかった

僕は彼女の愛し方を間違えた
その代償はおおきかった





「僕は、ただ姉さんの、すべてが好きだったのに」

血塗られた少年の手が、赤黒い手がだらりとたれた。
少年の背に、背徳の女神は光臨した。







「雪弥、彼女を殺したのは、彼女の弟だよ」

水島鏡子の弟の名前は、水島春一と言った。



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