「ラッキー、ラッキー」

俺はラッキーを必死でなでた。
ラッキーは気持ちよさそうに目をつぶっている。
焦る気持ちを抑えて、俺はラッキーをなでつづける。

「はるいち君、どうかしたんですか?」

雪弥が走って病院を出てくる。
俺は雪弥の方を向かずに、ラッキーを見つめ続けた。

「…ラッキーの首輪をはずそうとしてる、こどもが見えたから」
「そうですか」
「突然いなくなってごめん」
「いえ、あたしが迷子にならなかったのだからいいんです」

じゃあいきましょうか、と雪弥は歩き出した。
俺はそれ以上何も聞かない、雪弥の背中を追った。
また電車に乗って、ふたつめの駅で降りる。

ここが、彼女の生まれ育った町。

そこから少し歩くと、ちいさな小学校があった。
ちいさな校舎に対して、おおきなグラウンド。
こじんまりとした原色のアスレチック、今は誰もいない。

ここが彼女の通った小学校。

「職員室に行ってみましょうか」
「いや、いいよ ここを歩き回るだけで十分」
「そうですか」

ラッキーを連れて校庭を歩く。
風が吹くと、砂埃が舞う、この感じが小学校だ。
ちいさな鉄棒、さかあがりのためのロイター板。
いたるところにちいさな花壇があって、1ねん1くみなんてかいてある。

懐かしさが身をよぎる。

「雪弥、もう行こう」
「はい」

砂埃の中、職員室の前のちいさな池の鯉が、はねた。

「昔、彼女が小学5年生のときのことなんだけど」
「はい」
「俺は、幼稚園児だったんだけど、彼女運動会が嫌いだったんだって言うんだ」
「完璧な鏡子さんが?」
「うん、彼女、どうしても走るのが嫌いだったんだって、遅いから」
「あー、それ、よくわかります」
「雪弥も走るの苦手なの?」
「はい、小学生のときは、短距離走が恐怖で、いつも泣きそうでした」
「…遅いってったって、走り終えるのはすぐじゃん」

「皆があたしを追い越していくのが、恐怖だったんです」

横目にどこかを見ながら、雪弥はそう言った。
彼女と同じせりふを吐きながら。

「しゅんちゃん、あたしのことみんなおいこしてくのよ、あたしびりよ」

めずらしく弱気な目をして、そう言った。
そのとき、俺は彼女にリボンのピンを渡したのだ。

「これつけてれば、絶対だいじょぶだよ、びりでもだいじょぶ」
「…ありがと」

まだ弱気な顔で、彼女は自分の前髪をとめあげた。
つるんとしたおでこがあらわになる。
彼女の髪型がそれになった瞬間だった。

雪弥は前髪を斜めに下ろしている。
その前髪がさらさらとなびくのを、手でおさえつけた。

雪弥と俺は、ラッキーをひいて道を歩く。
ふたりはお菓子を食べながら歩く。
雪弥がクッキーを差し出す、俺はそれを受け取って食べる。
雪弥の指の触れた部分から、少しずつ。
俺がスナックを差し出す、雪弥はそれを受け取って食べる。
俺の指の触れた部分から、少しずつ。

雪弥の指を、俺は食べる。
俺の指を、雪弥が食べる。
ラッキーはひょこひょこと俺と雪弥の間を歩いていく。

まるで昔からそうだったみたいに。
なんの違和感も感じさせない、ふたりと一匹。



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