彼女はいつもそうやって動物に笑いかけていた。
何もかもとっぱらった、自然な姿で。
俺が10歳のときにあげた、ピンクのリボンのピンでとめた髪。
つるっと光るちいさなおでこの下に、切れ長の瞳。
あの優しい笑顔で、白く細い指をくるくると動かしながら。
そうして言うんだ、いつも。

「しゅんちゃん、見て、かわいいでしょ」

俺はそれだけで、とってもしあわせな気持ちになった。
あの頃も、今も、きっとこれからも。
ずっと。

雪弥はつかの間瞑想に陥っている俺には気づかない。
同じように、繰り返し、手を動かしてラッキーをなでている。
少しだけ力を抜いた、彼女の強い結界を解きひらいて。

その結界の中に、俺はふと、入りたいと思った。

音を立てずに雪弥のうしろに近づく。
雪弥は気づかない。
俺はそっと雪弥の肩に手を伸ばす。
雪弥はふりかえらない。

俺は雪弥の長い髪の毛をさわるところまで手をのばす。
そうして、そこから、ゆっくり手を戻した。

「はるいち君、ラッキーの犬種は?」
「コーギー、ちょっとずんぐりしてるってペットショップの人が言ってた」
「そうですか? 結構まるまるしてかわいいと思います、あたしは」

とうとうラッキーはひょこひょこと歩いてきて、雪弥のひざにのった。
雪弥は驚く風もなく、そこで手を離した。

「ところで、話に戻ります ここに住んでどのぐらいですか?」
「このアパートに越してきたのは、今年の4月」
「4月? じゃあ編入してきたんですか?」
「うん、それまでは広島にいた」
「そうですか…ちなみに水島さんが亡くなられたのは広島ですか?」
「いや、この町だよ」
「その…この町に越してきたのは、水島さんのためですか?」
「そう、もう自由にできるのって、高校生までだと思って」
「そうですか…」

雪弥と出会った公園から長いこと電車に乗ってやっとたどりつく、この町。
待ち合わせしている公園からは、おおよそ40分かかる。
雪弥はあの公園までどのぐらいできているんだろう、なんて思った。

「ここなら、東高も近いですしね」
「まぁね」
「あの、ご両親は?」
「まだ広島にいる、家がそこにあるから」
「そこからラッキーをつれてきたんですか?」
「うん、ラッキーは今年の誕生日にもらったんだ」
「わかりました、はるいち君への質問は、今日はここまでにします」
「はい」

ふたりそろってお辞儀なんかしてみたりして、なんかおかしい。
雪弥は真面目にぺこっとしていた。

そのあとは事件のくわしい内容について、ふたりで黙々とまとめた。
雪弥のまとめたノートをもとに、俺の覚えている刑事さんの話を加えて。
そうして、ちょっとずつくわしい時系列がわかっていく。
しかし、前日の5時から9時までだけが、ぽっかり空いていた。
雪弥は首をかしげていたが、それは前日のことだから事件には関係ない。
そう言うと、雪弥は納得していないけど、うなづいた。

「では、水島鏡子さんのひととなりの検証っていうのは、どうしていくんですか?」
「彼女の友達や親戚には、もうひととおり聞き込みはしたんだ」
「それは、どこかにまとめてはありますか?」
「うーん、それはまとめてない、なんかそれだけになっちゃいそうだから…」
「自分の記憶にとどめておきたいってことですね、じゃあどうしていきましょうか」
「…そこなんだよね」
「そうですね…」

沈黙した中、雪弥はまたうつろな目をして動かない。

「あの、こんなのはどうでしょう」
「え?」
「この、鏡子さんのスケジュール、1か月分のと」
「うん」
「あと、はるいち君が鏡子さんと行った場所とか、鏡子さんの思い出の地とか」
「うん」
「そういうところを調べて回って、何か、こう、鏡子さんを感じてみてはどうでしょうか」
「…なるほど」

この子は僕と頭のつくりが違うのかもしれない。
彼女のことをいまさら知りたいと思う反面、何をしていいのかわからなかった。

「あ、微妙でしたか…すみません」
「いや、俺には無い案だったから」
「その…どうでしょうか、そういうのは」
「そうだね…そう、いいと思う」
「本当ですか?! それはこちらとしても光栄です」
「うん」
「では、はるいち君ひとりでも迷わず回れるスケジュールを立てます」
「え…」

言うが早いがノートを開き、俺のノートパソコンを引き寄せた。

「ちょっと、雪弥」
「あ、え、何ですか」
「…俺、ひとりでまわるの?」
「え、誰か一緒に行かれる人がいたんですか?」
「…雪弥は、来ないの?」

「…あ、あたしも行くんですか?」

ちょっと驚いたように、そう言った。

「俺は…てっきり雪弥も行くもんだと」
「あ、はるいち君が手伝えって言うならいきますけど」
「けど?」
「そんなの、迷惑じゃないですか?」
「なんで」
「だって、あたしは赤の他人だし…脅されてる身ですけど」
「あ…そうだけど、雪弥は俺の助手でしょ?」
「あ、そうですね、じゃあついていくのもあたりまえですね」

雪弥は納得したように、パソコンに目を戻した。



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