私は家の前の公園のベンチに座っている。
今日はなんだかゆるい暑さが漂っている。
私はひざを抱えて缶ジュースをごくんと飲む。
今日はダイエットのことも忘れて、紅茶花伝を買ってしまった。
ちいさな缶が汗をかきながら、ひんやりとした液体を守ってる。
私は缶を置くと、ベンチの上に立ち上がる。
今日はちょっとだけ、思い切りが必要な日だから―――

私はその場所から飛び降りる。
その勢いのまま、その場所で側転を三回連続した。
和馬は知らない、私が体操が得意だってこと。
昔運動音痴だったせいで、和馬はまだ私がそうだと思ってる。
そう思ったら、なんだかあきれてしまった。

「さとる」

ひらがなの発音で私を呼んで、手を振る和馬。
私も手をふりかえして、ベンチに座る。

「で、何、用って」
「そんな急がないでよ」
「だって、明日試合なんだもん…」
「姉貴のお願いと、試合どっちが大事なのよ」

和馬はぴくっとして、何も言わない。
私はちょっと後悔して、苦笑した。

「そうやって彼女に責められたこと、あったんでしょ」
「うん」
「やーね、私はそんなの本気で言わないよ」
「うん」

知ってる、和馬の後悔。
本当は、彼女のことが大好きでしかたなかったんだ。
私は彼女と和馬がいったいどんな関係だったのか知らない。
けど、和馬は彼女をとっても大事にしていた。
知ってる、知ってるから。


「和馬」

その名前を口に出して呼ぶ。
和馬は何も言わない。
だから私は、気づかれないようにそっと思った。

小学校のとき、私のささいな相談に真面目な顔で答えてくれた。
異性の対象にならなかったから、中学で別々になっても続いてこれた。
メールと電話のやりとりだけだったけど、私の助けには充分だった。
いつしか、私は感情の変化に気づいていた。
メールの返信にだって困ってしまうし、でもメールを送りたくて。
私はついに変化を認めて、生まれてはじめての決意をした。
一所懸命考えて、一生懸命悩んで、お店に走った。
家に帰ってきて、自分の家庭事情が変化しているなんて思ってなかった。

和馬が弟になる。
私が姉にある。
私の中の何かが、音を立てて崩れた。

「私、君のこと好きなんだ」

泣きじゃくって袖をひっぱりながら思った。
どうして好きな人が弟になっちゃうの?
私は君に、この気持ちを伝えずに一生を終えなきゃいけないの?
崩れた何かが、頭の中を駆け回ってた。
そんな私を、和馬は情けない顔してなぐさめてくれた。

姉と弟として接するようになって、私はいつしか落ち着いた。
和馬の優しさが、
和馬の不器用さが、
和馬のこどもっぽさが、
私の中に、すっとしみこんでいく。
そしてちょうど1年たって、私は新たな決意をした。

「さとる…今、何て言った?」

和馬は静かにそう言った。
少し視点がぶれている。
だから私は、決意したことを口に出した。

「私、和馬の姉として、和馬が好きよ」

和馬に向かって笑顔で言えた。
そのことがうれしくて、私は緊張の糸を解いてしまいそうだった。
必死でこらえていた涙を、流さないように力を込めて。

「さとる…」
「はいこれ、あげる」
「え?」

私は手にしたちいさな包みを手渡した。
開けるように促して、その間に目頭を強くつねった。

「何だこれ?」
「カズサトリ」
「…カズサトリ?」
「そう、カズサトリっていう名前のクッキーなの」

一年前、とあるお菓子屋さんで見つけた。
小さな包みに入った、カズサトリという名前のマスコット。
マスコットの顔をした、小さなクッキーが4つ入っている。
私はこれを君に上げて、告白しようと思ってた。
かばんの中に、丁寧にしまって家に帰った8月の末。

「誕生日、おめでとう」
「え?」
「君の誕生日、8月27日」
「…でも、今日は8月26日だよ」
「違うよ、時計見てごらん」

和馬は携帯を取り出して、画面を確認する。

11:59 

「いつまでもおねえちゃんでいていいですか?」

私は、うつむいて聞いた。
和馬はちょっと笑って答えてくれた。

「頼むぜ、姉貴」

12:00

私と和馬は、公園で別れてそれぞれの帰路につく。
私は和馬の背中を見ずに、家に帰る。
とうさんは何やってたんだー、と言って新聞を置く。

「祝ってたのよ」
「ん?」
「弟の、誕生日を祝ってたのよ」
「聡…」

「私、だーいすきよ、弟」

私はそう言って部屋のドアを閉めた。
そうして、私はドアの前に崩れた。

「好きよ、和馬」

これでよかっただとわかっている。
あきらめはとうの昔につけている。
それなのに、この胸の痛みって何かな。

「しあわせになるのよ、和馬」

私を、喜ばせるような弟になってね。





Dear my little brother

I still love you forever.

From your big sister







THE END