[PR] アクアクリニック ヒカリムシ*3










「えーっと、俺たちはとりあえず校内清掃同好会って形になってるんだけど…」
「校内清浄同好会?」

都賀巧の口から出た思いも寄らない言葉。
なんだそれ、学校内を掃除でもしてまわる気か?

「あー、いきなり疑いの目になってるよヒロ」
「まぁまぁ最後まで聞いてくれよ」

都賀巧は眼鏡を人差し指で押しながらそう言った。

「ちなみに、通称は『掃除部』だ。たまに『箒軍団』とも呼ばれる」
「だっさ」
「るせぇな、俺達が決めたんじゃねぇんだから文句言うな」
「彰人、ちょっと黙ってなよ」
「とにかく、俺達『掃除部』は、校内清浄に努めているわけだ」
「はぁ…それで、皆さんは何を掃除して回るんでしょうか」
「それは」

ぴしっ

突然壁が音を立てる。
全員の目がその方向に一瞬で注がれる。

ぴしっばしっびきっ

「あーもー、説明の最中だっていうのに」
「本当にこっちの都合なんてお構いなしだ」
「おい寛治、お前ちょっとあれ出しとけ」
「また、なんだって俺が…」
「いいから早く」
「ったくもー」

寛治が立ち上がると同時に、音が室内を回るように鳴り出した。
いったいこれは、何の音なんだ?
俺はわけもわからず、近くにいた小杉秀介に助けを求める。

「あー、説明の途中だったね」
「これは、何の音?…まさかあの、お化けとか?」
「オカルトな話ってわけじゃないけど、まあ近いって言えば近いかもね」
「は?」
「おーい、取ってきたぞ」

振り返ると寛治は、大きな網のついた長細い棒を持っていた。

「まぁ今日のはちいさそうだから、こんなんでしょ」
「じゃあそこらへん置いとけ」

速水彰人が面倒くさそうに言った。
これでいったい何をするつもりなのか、俺には大体わかった。

「この網で、音の正体を捕まえるわけ?」
「そういうこと」
「そろそろ見えてくるころだと思うんだけど…」
「見えてくる?」
「今は透明っていうか、実体化してないただの音じゃない?」

それがね、見える形になるわけで。
都賀巧が言ったと同時に、俺は何かに猛烈なタックルを食らった。
まるでそれは空気の塊みたいで、俺は椅子から転げ落ちた。

「げ」
「思ってたより大きいじゃん!」
「ちょ、ヒロを助けないと」
「う、わ、あ…」

俺は何かに手足の自由を奪われて動けなくなっていた。
それはまるで、昨日斉賀梅雨に押し倒されたときみたいに。
でも明らかに違うのは、俺に触れているそれが、至極冷たいことだった。
俺は顔を動かしてそれを見る。
半透明なそれは、まるで熊の形をしていた。
俺は言葉を失った。
聴覚が一瞬麻痺して、俺は目の前にある死の恐怖を味わった。

「猫ぐらいだと思っていたのに」

――誰の声が、突然頭の上から響いた。
ちゃきりと音がして、俺の上空ではさみが回る。

「汚れちゃうけど、我慢しろ」

はさみはまるで円盤のように高速に回転した。
そして俺を押さえつけている物体を、横から一気に切り裂いた。

唸り声のような騒音がして、俺の目の前で緑色の液体が炸裂した。

「お前…俺たちの陣地で何してんだこら」

液体でべとべとの体を引きあげらると、速水彰人が声を荒げていた。
寛治があわてて俺の腕を引いた。
はさみをくるくると回しているのは、ひとりの少年だった。

「別に、ノルマを果たしただけだけど」
「…『犬』のくせに…のこのこきやがって」

速水彰人が食ってかかって行くのを小杉秀介が静かに止める。
でも全員の敵意が少年に向かっているのを肌で感じた。
お人好しの寛治さえ、俺の腕を引きながら睨みつけている。
にらまれた少年はというと…顔が見えない。
顔には黒色の布がかけられていて、瞳以外の部位が見えないのだ。
そして彼は、学校の制服とは違う灰色の衣服に包まれている ―少年は、いったい何者なのだろうか?

「転校生、ここが嫌になったらこっちにきな」
「こっち?」
「そう、そんな同好会程度に嫌気がさしたらな」

――我らの組織、『帝部』へ。
彼はそう言って、しなやかにドアの向こうに消えた。
速水はそれと同時にドアに向かって本を投げつけた。

「ったく、野郎…マジ消えろ」
「ちょ、俺の新刊がぁ…っ」
「彰人、物に当たるのはよくないよ。斉賀よく言うでしょ」
「るせぇ、今あんなどちびの名前出すんじゃねぇ、余計腹が立つ」

がやがやと片づけを決行する部員たち。
寛治は俺の新品のYシャツとブレザーを申し訳なさげに見て、いそいそと脱がせ出した。

「ちょっと、おい、何よ」
「これねー、この体液、落ちないんだよね。だからさっさと脱いで」
「そんな急に」
「だって着っぱなしだと肌荒れるよ?」

俺は自分の胸あたりに飛び散った、ヘドロみたいな緑色の体液を見る。
しかたなしに俺は上半身裸になって、着ていたものをゴミ箱に捨てた。
寛治は俺に、ロッカーから出してきたジャージを投げる。

「説明の続き、話してよ」
「あ、そうだった。おい巧、説明」

都賀巧は、小杉秀介と一緒になって俺の押し倒されたあたりの床を雑巾で拭いていた。

「もしかして、それの掃除?」
「え?」
「その、化け物の体液の掃除をするのが『掃除部』?」
「おいおい、馬鹿にするなよ」

都賀巧は、肩をすくめて雑巾をバケツに投げ入れた。
すると白鳥胤は、さっきまで微動だにせず(俺が襲われているときも)突っ伏していた体をむっくりと起こし、バケツに向かって歩き出した。
そして少し生き返った目をして、小杉秀介と一緒に床を拭きはじめる。
白い髪の毛が頬にかかるのも気にせず、ただ一心に床を見つめて。
そんな姿は見飽きた、というように都賀巧は視線を俺に戻す。

「俺達がやってるのは、今の化け物”シシャ”の掃除だ」

つまり、掃除部っていうのはシシャの退治にあたる。
俺達掃除部はシシャをできるだけ生け捕りにして、神社で焼いてもらっている。
焼くという行為は、やつらを苦しめずに”還す”ことになるからな。
転校していきなりあんな化け物の説明をうけてもよくわからないかもしれないけど。
とにかくシシャはああして俺達在校生に危害を加えることが多い。
だから俺達は有志の団体として同好会を立ち上げて、やつらと対峙してるんだよ。
掃除部は、学校の平和を守る正義の味方ってわけだ。

まるでSFだと思った。
でも、俺はさっき実際に”シシャ”に押し倒されて、殺されそうになった。
だから信じるも信じないも、ないと思った。

「さっきの人…帝部っていうのは何?」
「あいつらは学校直属の秘密組織みたいなものだ」

シシャを退治するのに必要なことは、全て力ずくで従わせる。
だから掃除部みたいに生け捕りになんてしない、その場で殺すんだ。
シシャの苦しみなんて、はなっから無視ってわけ。
帝部自体の、活動人数や所持する教室、管轄、何もかもが謎。
わかっているのは彼らが活動するときに着る、あの独特の衣服だけ。
帝部のやつらは確か、ひとりの先生の命令に従って動いている。
その先生の命令なら何でも聞いて、必要があれば生徒にだって手を出す。
だから”犬”なんて呼ばれてて、畏怖されているわけだ。

「活動方針からして、俺達の天敵だ」
「何かあると、あいつらはすぐに俺達を罰したがるからな」

速水彰人は忌々しそうに椅子を足先で転がした。

「それで…」
「?」
「それで、シシャって何なの?」

皆は顔を見合わせて困っている…きっと面倒なんだろうな。
と思っていると、白鳥胤が静かに俺の前に座った。

さっき舞士っていうのの説明したの覚えてますか?
この土地に住む神様を祭るために踊るっていう、特待生さん。
彼らの祭ってるこの土地の神様は、とってもデリケートなんでしょうね。
何かちょっとでも影響があると、神様はすぐに何かを”創造”してしまうんです。
それがシシャ、という形になってしまうんでしょう。
シシャが創造されてしまう理由はきっと、マイナスな影響で、生まれてくるシシャはマイナスのエネルギー。
だから人間に危害を加えるんだと思います。

この世の中は、どんなところにいても、マイナスのストレスが存在していますから。

そう言ってまっすぐ俺を見た赤い瞳は、静かに停滞している。
優しい表情に、白い髪がかかっている。
全てがしかたがない気がした、ありえないこともありえてほしくないことも。

「だから僕達はそのかわいそうなものたちを神様のところに還してあげるんです」
「それが、掃除部の活動」
「はい。是非君も一緒にやりませんか?」

俺は自然にうなづいて、白鳥胤の顔を見た。
周りがうれしそうに声をあげる中、白鳥胤は静かに表情をゆるめた。