あたしは天を見上げた。
ちいさいころ、人間は死んだらお星様になるなんて俗説を親達はする。
大きくなってもなんだかそれは本当のような気がしている。
人間は土に還っていくだけだって知ってるのに。
人間はいつまでも天に還れると信じてる。
最期ぐらいそんな神話に身を任せてみたい。
この青空の向こうに、みんながいるという哀しいほどの偽りに。
あたしは少しだけ、目を閉じた。
あたしの下にいる俵芳和は、少し震えている。
あたしをどけようとしながら、ふいに目に入る包丁。
あいつの中にある本能は、それをやつに握らせた。
あいつはすごい勢いで起き上がり、包丁は迷わずに研二の腕を切った。
研二が悲鳴をあげて倒れこむ。
研二のもとに駆け寄ろうとしたあたしの腕をがしりとつかんで、
そばにあるバッドらや自転車やらのあるゴミ溜めの廃車にあたしをつっこんだ。
その目は性欲という感情に満たされている。
「そうだ…俺は、貴女を犯すためにあそこにいったんだ」
ドアをゆっくり閉めると、俵芳和はあたしの首をつかむ。
夢にまで見たあたしのからだをなめるように見る。
正気を失ったその汚い目の中には、あたしがいる。
本当はあのとき殺されるべきだったひとりが死ぬのなら。
もう誰もこの苦しみを背負わないでいいと願う。
そう、犯人として死刑になるまでの俵芳和だけが一時気持ち続けるだけで。
もう、楽になれるよね、遼一。
俵芳和の手が、あたしのシャツをつかんだ。
「やめろ」
今まで聞いたことのないような強い声がした。
ボンネットにずしりと重いものが飛び乗った。
「芳にぃ、涼夏に触れるな」
俵芳和は何がおきたのか分からないみたいに、きょろきょろした。
あたしは窓ガラスに滴りはじめた赤い液体を見た。
「涼夏は、僕のご主人様だ」
研二の声はかすかに震えていた。
「僕が守るって、決めたんだ」
窓ガラスが破裂するように割れる。
散らばった破片はまともに俵芳和に刺さる。
あたしの目の前で、血飛沫がおきた。
包丁は横にくるくると回って止まり、俵芳和は気絶している。
研二はすごい勢いでドアを開けてそのまま無言であたしを抱きしめた。
あたしのなかのなにかが、ぐっと縮まった。
そして左手のバッドを握ったまま、あたしの左手を握りしめる。
あたしたちは車から出て、死ぬ気で走った。
遠くでサイレンの音がした。
*
あたしたちは出会った川辺に座っている。
研二はあたしから離れようとしない。
だからあたしも動けずに、無言のときが流れた。
あたしのパーカを切ってむすんだ研二の腕は痛々しかった。
でも切り出したのは、研二だった。
「どうして」
どうしてあんなことしたの。
研二の声にはかすかに怒りが含まれている。
そんな研二ははじめてだった。
「主人のすることに口出ししないで」
「そういう問題じゃない」
研二はあたしをにらむ。
そして勢いよくあたしをひきよせた。
死ぬ気だったんでしょ、僕をおいて。
涼夏は僕の前から消えるなんて許さないから。
絶対絶対許さないから。
研二は泣いていた。
このどうしようもない男の子は、あたしが死ぬのを恐がって泣いている。
そう思ったら、からだがすっととけた。
あたしはその嗚咽を聞きながら、研二の肩にすがりついた。
「あたしだってね、つらいんだから」
俵芳和はあたしに殺されることで罪を償おうとした。
あいつはその時点で生を終える。
でも、そしたらあたしはどうなるの?
あたしは家族を殺された痛みと、人を殺した痛みをひとりで背負って生きていくの?
いつまでたってもひとりぼっちで、あたしはひとりで罪人だ。
「あたし、そんなに強くないよ」
「あたし、ひとりで抱えて生きていけないよ」
「もう、あたしが死にたいのに」
あたしは泣いていた、研二の中で。
研二はあせをかいていて、少しぬるぬるしてあたたかかった。
あたしの痛みを、知っていてくれるたったひとりの男の子。
ひとりじゃないから。
僕がいるから。
涼夏のすべてをさらけだしてほしいよ。
「涼夏のすべてを愛しているから」
あたしははじめて、ほしい言葉をもらった。
家族にしかもらえなかった言葉を、男の子から。
「あたしがいないとだめなの?」
研二はあたしの大好きな潤んだ瞳であたしを見て言った。
「だって、僕は君の犬だから」
君はあたしのことなんてわかってない
僕は君のことばかり知りたい
君はあたしのこと本当に好きなの
僕は君のことならすべて好きだ
君はあたしに泣かされていやじゃないの
僕は君のことならどんなことしてでも知りたい
あたしは君の思ってるような人じゃないよ
僕はそんな君だって知りたいんだ
DOG*BLUE
「研二、足が汚れた なめて」
「うん」
ふたりの絆は変質的だけど
誰より純粋なこの愛は
「研二、大好きだよ」
「僕も、大好き」
きっといつまでも 誰よりも 美しい
END